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タイ工場の操業に向けた準備や操業後の展開は順調に進みましたか

―タイ工場の操業に向けた準備や操業後の展開は順調に進みましたか

 初めての海外進出ということもあり、6か月の準備期間を含めて非常に苦労しました。特にタイ投資委員会(BOI)への申請手続きが煩雑で、非常に手間を取られました。また、営業先は日本国内で取引のあるメーカーですが、窓口は全て現地です。ゼロからのスタートだったため、売上が立つまで操業開始から1年かかりました。

 しかし本当に大変なのはこれからです。モノづくりはキャッシュフローが悪くて新規参入がしにくいビジネスです。従ってそれだけの志がなければ出来ません。日本がかつて製造業で世界を席巻出来たのは、先人たちが志のあるモノづくりをしてきたからです。そういった先人たちの努力を命がけで受け継いでいきたいと考えています。

―中村社長が就任した当時の会社の状況をお話し下さい。

 私が社長に就任した当時は、売上が最盛期の半分にまで落ちるなど厳しい状況でした。弊社は戦後の高度経済成長期に創業し、お客様の要望に応えて一所懸命作ることに集中して成長しました。その中で得意分野を確立してきましたが、厳しい経済環境下ではそれが枷となり、新しい分野の開拓に乗り出せずにいました。毎日定時上がりで、社員は不安だったと思います。

―就任後、どのような取り組みをしてきましたか。

 最初の3年間は売上を上げることに集中しました。その結果、売上は5年前の6倍に伸び、独立系としてはシェアトップクラスになりました。

 1年目はとにかく仕事の確保に奔走しました。私自身作業服を着て10tトラックで日本全国の工場に直接伺いました。国内の生産拠点で作る数が減ったとはいえ、現場は必ず何かで困っています。例えば金型の補修・リペアです。トラックを用意したのは補修・リペアの金型を持ち帰るためです。一般の金型メーカーは補修・リペアを嫌がります。弊社はずっとやってきたため自信がありました。その他にもこれまでやったことがないことを含めて「何でもやります」と言ってチャンスを頂いてきました。全タイヤメーカーと取引をするようになったのはこの頃です。

 社員の意識改革にも取り組みました。目指したのは志の共有です。志とはメイドインジャパンの価値を全世界に知らしめることと、「タイヤ金型=SHINKO MOLD」と言われるようなブランドの確立です。そのためにはどこよりも良いものを作らなければいけません。中国や韓国の製造業に負けないよう、もう一度謙虚になって王座を取り戻そうという志を全員で共有すべく取り組んできました。