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株式会社壱番屋

2001年11月5日。「カレーハウスCoCo壱番屋」に衝撃が走った。1軒の喫茶店から同社を全国に700店超を展開する大企業に発展させた、創業者・宗次氏が引退。「副社長にあとを託す」と発表したからだ。後継社長のもと、同社は2005年に東証一部へ上場。2012年には新業態も含め国内外で1,300店舗に達するまでに成長した。一代で年商700億円超の企業をつくり、53歳でそれを手放した宗次氏に、成功する事業承継法を聞いた。
※下記の記事は「ニッポンの社長」から転用した記事になります(http://www.nippon-shacho.com/interview/in_cocoichibanya/)


―事業承継を考え始めたのはいつごろですか。

2001年の春です。副社長の浜島(俊哉氏。現・株式会社壱番屋代表取締役社長)をみていて、「ああ、彼はもう経営者として私を超えているな。これはあとをまかせられるな」と思ったんですよ。

その日までは、経営を退くなんてことは一瞬たりとも考えなかった。突然、思い立ったという感じですね。

―浜島さんのどんなところをみて、「まかせられる」と思ったのでしょう。

高い経営能力です。その1年前の2000年に、彼を専務から副社長に昇格させました。1992年から経営陣の一員だったんですが、より経営の意思決定に責任をもってもらうためです。

それからの彼の仕事ぶりはなかなかのものでした。たとえば出店戦略の決定を彼にまかせる。まったく問題ないんです。「仮に私が決めるとしても同じようにするだろう」という決定をしてくれる。それに気づいたとき、承継を考え始めたわけです。

ただし、それはあくまできっかけ。後継者選びでいちばん大事な基準は能力面ではありません。

―もっとも重要な基準を教えてください。

人間性です。仕事をする能力は高くても、ヒトとしての資質に問題がある。そんな人物では社員たちがついていきませんから。「ウラオモテがない」「公明正大である」「まじめで誠実」。こういった人がトップに立つ資格がある。

浜島との出会いは、彼が19歳のとき。2号店を出した直後のウチにアルバイトとして入ってきて以来、20年以上のつきあいです。誠実さに欠けるところがあれば、私の耳に悪い情報が入ってくる。でも、そういう話はまったくない。「人間性が高い」とずっと前から評価していた人材に、経営能力もあることを知った。それで「あとをまかせる」と決めたわけです。