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京セラ株式会社

※下記はベンチャー通信4号(2002年3月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。 ただし、売上などは2009年3月末時点のものです。


【起業家の軌跡】

―<稲盛和夫プロフィール>

稲盛和夫は、1932年1月に鹿児島市で生まれた。1955年に鹿児島大学工学部を卒業し、京都で就職。

1959年4月、知人より出資を得て、資本金300万円で京都セラミック株式会社(現:京セラ株式会社)を設立。

以来、ファインセラミックスに関する技術開発力をもとに、ICパッケージをはじめ各種電子部品、産業用部品等のメーカーとして急成長させ、今日では通信機器、情報機器、宝飾品等の製品群を持つ世界有数の優良企業に育て上げた。

また1984年には電気通信事業の自由化に即応し、DDIを設立。国内の長距離電話の低料金化を実現するとともに、1987年から移動体通信事業を行うセルラー電話会社8社を次々と設立し、全国を網羅する通信ネットワークを作り上げた。

2000年10月には、KDD、DDI、IDOの合併により(株)ディーディーアイ(KDDI)設立、名誉会長に就任。2001年6月に、最高顧問に就任。一方、1984年には私財を投じて稲盛財団を設立。同時に国際賞「京都賞」を創設し、毎年11月に先端技術、基礎科学、思想・芸術の3部門で人類社会の進歩発展に功績のあった方々を顕彰している。他にもボランティアで、全60ヶ所(国内53、海外7)、約5,200人余の若い経営者が集まる経営塾「盛和塾」塾長として経営者の育成に心血を注ぐ。

写真はKDDI社名碑除幕式の様子

―<京セラの創業>

1955年、鹿児島大学工学部を卒業した稲盛は、京都にある碍子会社「松風工業」に入社。入社してみれば、入った会社は、当時すでに銀行管理同然のひどい状況。おまけにオーナー一族が内輪もめをしていて労働争議も頻発。入った寮が、これまたひどいあばら家。一緒に入社した同期5人揃って、「こんな会社早く辞めよう」と言いあうような始末だった。

そして入社した年の秋には、同期もほとんど辞めてしまう。残ったのは、稲盛を合わせて2人。しかし、もう一人の同期も、自衛隊の幹部候補学校に入学。稲盛は転職かなわず、たった一人取り残される。しかし、進退窮まって、かえって吹っ切れた。

「もうこうなったら、不平不満を言っても仕方ない。ここは気持ちを入れ替えて、徹底的に研究に没頭しよう」。そう決意した稲盛は、研究室にふとんや鍋を持ち込み、朝から深夜まで研究に没頭。すると意外なことに、素晴らしい研究成果が出るようになった。

やがて、仕事が認められた稲盛は主任に昇格。しかし、主任に昇格して3ヶ月目、突然破局がやってきた。開発責任者として悪戦苦闘していた稲盛に、新任の技術部長が、「君の能力では無理だな。ほかの者にやらせるから手を引け」と引導を手渡したのだ。外部から来た新任の技術部長のその言葉に、稲盛の頭の血が逆流した。「あなたこそニューセラミックスが分かるのか。無理というのであれば会社を辞めます」と辞表を叩きつける。

そうすると今度は、辞めることを聞いた部下達が、「一緒に自分達も会社を辞めてついていきます」と言いだす。前任の上司だった青山まで、「よし、なんとか金を集めて会社をつくろう。稲盛君の上に人を置いたらいかんのや」と大声を張り上げた。青山には当てがあった。大学の同窓の友人、京都の配電メーカー、宮木電機製作所の西枝専務と交川常務の二人だった。

青山は、稲盛を連れて西枝専務の自宅を訪れ、これまでの経緯を説明して出資を頼んだ。しかし、交川常務は「お前、アホか」と青山を一喝。「この稲盛君がどれほど優秀かしらんが、26、7の若造になにができる」。しかし青山はひるまなかった。「稲盛君の情熱は並外れている。必ず大成する」交川も言い返す。「情熱だけでは事業は成功するのか」。稲盛も負けずに「将来きっとニューセラミックスの時代がやってくる」と必死に訴えた。二人は何度も出かけて頭を下げた。そしてついに出資を得ることに成功。

西枝は、「支援するとなったら、とことん面倒をみる」といって、銀行借り入れの際、自宅を抵当に入れた。この時、西枝は妻に「この家を取られるかも知れんぞ」と断ると、「男が男に惚れたのですから、私はかまいませんよ」と返されたという。

こうして、1959年、わずか28名のメンバーで京セラは連結売上高は一兆円超、従業員数約6万人を擁するまでのグローバル企業になった。50年前、小さな町工場だった京セラを一躍、世界の京セラへと育て上げた稲盛和夫。その後、NTT独占だった日本の通信業界に風穴をあけるべく創業したDDI(KDDI)も現在は売上3.5兆円規模の企業となっている。その情熱は、戦後の日本経済が生み出した奇跡である。(参考文献:日本経済新聞社 稲盛和夫著『ガキの自叙伝』)

―<稲盛和夫の言葉>

■商いの極意は、お客様から信用されることだと言われている。もちろん、信用は商売の基本だが、さらに信用の上に「徳」が求められ、お客様から尊敬されるという次元がある。尊敬まで達する、お客様との絶対的な関係を築くこと、それこそが真の商いではないだろうか。

■人はインスピレーションを外に求める。しかし私は、内に求める。自分が今やっている仕事の可能性をとことん追求して、改良を加えていくと、想像もつかないような大きな革新を図ることができる。

■常に原理原則に基づいて判断し、行動しなければならない。原理原則に基づくということは、人間社会の道徳、倫理といわれるものを基準として、人間として正しいものを正しいままに貫いていこうということだ。人間としての道理に基づいた判断であれば、時間や空間を超えて、どのような状況においても受け入れられる。

■多くの事業家は、自らの才覚と能力に頼る。しかし、それでは一時的に成功したとしても、自分自身の才覚におぼれ、事業が長続きしない。事業を成功させ続けるためには、心を高め、徳のある人格を築き上げていかなくてはならない。

■成功する人と、そうでない人の差は紙一重だ。成功しない人に熱意がないわけではない。違いは、粘り強さと忍耐力だ。失敗する人は、壁に行き当たったときに、体裁のいい口実を見つけて努力をやめてしまう。

■情熱は、成功の源となるものだ。成功させようとする意思や熱意、そして情熱が強ければ強いほど、成功への確率は高い。強い思い、情熱とは、寝ても覚めても、二十四時間、そのことを考えている状態だ。

■人を動かす原動力は、ただ一つ、公平無私ということだ。

■企業経営には、権謀術数が不可欠だと感じている人が多いかもしれないが、そういうものは一切必要ない。今日一日を一生懸命に生きさえすれば、未来は開けてくる。

■利益を追うのではない、利益は後からついてくる。

■努力には限度がない。限度のない努力は本人が驚くような偉大なことを達成させるものである。そのためには自分の中にある既成概念を壊さなければならない。壁を破り、一線を越えることによって、成功に至る。この壁を突破したという自信が、さらに大きな成功へと導いてくれる。

(京セラホームページ:「創業者稲盛和夫の考え方」より)
http://www.kyocera.co.jp/inamori/

※なお現在は、稲盛氏初の自伝『稲盛和夫のガキの自叙伝』(日本経済新聞社刊 定価650円)が好評発売中です。稲盛氏の波乱の人生が、あますことなく書かれています。