
【インタビュー前編】 泣き虫だった稲盛少年
―小さい頃の稲盛名誉会長は、どのような少年でしたか。
両親の話では、子供の頃の私は明るく活発で、親戚などが集まる場ではみんなを笑わせたりするような子供だったようです。
そのいっぽうで、近所でも有名な甘ったれの泣き虫で、一度泣き出したらなかなか止まず、「三時間泣き」とあだ名されるほどでした。
そのように根が内弁慶で臆病なものですから、小学校に入学しても、最初の頃は母親がついてきてくれなければ学校にも行けませんでした。
それでも、何年か経つ内に学校の生活にも慣れ、だんだんガキ大将ぶりを発揮するようになりました。せいぜい中派閥のボス程度でしたが、当時の私にとっては、成績の良し悪しよりも、どうやってグループを掌握するかが最大の関心事だったのです。
卑怯なところを見せればすぐに子分たちから見放されてしまいますから、負けると分かっている喧嘩もしなければなりません。また、ただ腕っ節が強いだけでもだめで、おやつを配ったりといろいろ気遣いも要ります。思えば、この頃から、遊びを通じて、集団を率いるためにはどうあらねばならないかを、少しずつ学んでいたような気がします。
―大学時代に就職活動をなさっておられますが、そのときのお話をお聞かせ下さい。
私が大学を卒業し、職を得たのは昭和30年のことですが、当時は朝鮮戦争後の不況の最中で、たいへん厳しい就職活動を強いられました。私のような地方大卒など、よほどのコネがないかぎり、どこもとってはくれなかったのです。
大学では、応用化学、それも有機化学を専門に勉強し、社会に出たら石油関係の研究開発がしたいと思っていましたので、帝国石油などの採用試験をいくつか受けたのですが、結果はすべて不採用。結局、当時の恩師の口利きで、やっと京都の松風工業という焼き物のメーカーに入れてもらえることになりました。あまりに思うようにならないので、「インテリやくざにでもなって、世を拗ねてわたってやろうか」と思ったこともありました。
―創業時のエピソードと経緯をお聞かせ下さい。
やっとのことで入社した松風工業で、私は新しいセラミック材料の研究開発に携わることになりました。しかし入社して三年ぐらいが経った頃、技術的な問題をめぐって上司と意見が対立し、相手のあまりに理不尽な物言いについカッとなって、「それなら会社を辞めます」と言ってしまったのです。
私が会社を辞めるという噂を聞いて、周囲の人たちが、このまま君の技術を埋もれさせてしまうのはもったいないからと、京セラという会社をつくってくださることになりました。ですから、私の場合は本当のベンチャーと言っていいのかどうか分かりません。
少し先の話もさせていただきますと、京セラは当初「稲盛和夫の技術を世に問うために」作った会社でした。つまり、前に勤めていた会社では、私の研究成果は上司に理解されなかった。だから今度は、私の技術を自由に世間に問うことができる場として、京セラをつくっていただいた。そういう形でスタートしたわけです。
しかし、会社が始まってまもなく、新人社員11人が私に団交を申し入れてきました。連判を押した書状を持ってきて、給料やボーナスを向こう何年にわたって保証してほしい、それぞれ約束してくれなかったら会社を辞める、と言ってきたのです。この事件は私に「会社の目的とは何か」ということを考えるきっかけを与えてくれました。企業経営の目的とは、技術屋の夢を実現することではない、現在はもちろん、社員やその家族の生活を守っていくことにあるのだと、私はこのとき初めて気づいたのです。
まもなく私は、京セラの目的を「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」としました。この言葉はそのまま京セラの経営理念となっています。
―人生の中で最も影響を受けた人物は誰ですか。
私の両親です。父は真面目で、几帳面な人でした。小さな印刷業を営んでいましたが、経営もたいへん慎重で、人並みはずれて借金を恐れていました。私も企業経営においては慎重を旨としていますし、借金することを厳しく戒めてきましたので、このあたりは父の気質を引いているのかなと思います。
いっぽう、母は父とは正反対に、たいへん明るく快活な人でした。私がどんな逆境におかれても明るさを失わないでいられるのは、この母に似たのでしょう。
京セラを始めた頃、経営の経験も知識もなかった私は、あらゆる判断基準をこの両親から教わった「人としてやっていいこと」ということに置いてきました。「人間として正しいことを正しいままに貫く」、これだけで私は京セラを経営してきたと言っても過言ではありませんし、それでいままで間違いはなかったと思っています。
また、京セラの社是となっている「敬天愛人」は、私の郷里である鹿児島の偉人、西郷隆盛の言葉です。この西郷隆盛の人となり、生き方、考え方も、私に大きな影響を与えています。彼は理想のリーダー、国家のあり方などについて、意味深い言葉をいくつも残しています。すばらしい哲学をもち、人に対しても大きな愛情をもって接していた西郷は、敵味方を問わず、たいへんな尊敬を集めました。
西郷隆盛の思想には、時代を超えて現代にも通じるものがあります。学生の皆さんも、機会があればぜひ学んでいただきたいと思います。